日ソ中立条約~信ずべからざるものを信じた大日本帝国、日ソ中立条約を破りロシア旧ソ連が当時の領土である樺太や千

日ソ中立条約~信ずべからざるものを信じた大日本帝国。日ソ中立条約を破り、ロシア旧ソ連が、当時の領土である樺太や千島列島北方領土に侵攻侵攻した理由:BS朝日の「日曜スクープ」に、ミハイル?ガルージン駐日大使が出演し、以下の発言していました。ロシア問題に詳しい方、専門家の皆様、いかが思われますか?ガルージン大使曰く、① 当時の日本は、日ソ中立条約があるから、中国や南方に侵攻していたのではなく、日本の独自の軍事政策によるもの。② 当時のロシア旧ソ連は、独ソ戦争を戦っていた。当時の日本は、日独伊の3国枢軸国で、当時のナチスドイツと同盟を組み、協力関係にあった。ロシアはナチスドイツにより、大きな被害を受けていた。日本は、樺太、千島、北海道函館?などで、ロシア船籍の船を拿捕したり、ナチスドイツへの協力行為をしていた。だからこそ、ヤルタ会談45年2月に米英もロシアの参戦を認めている。*ウイキペデイアには、1945年8月15日のポツダム宣言受諾玉音放送後、9月2日の降伏文書締結までの間に、択捉島、国後島、色丹島を占領、9月3-5日に、歯舞群島を占領と記述ありますが、この問題には、触れていなかったように思います。*また、8月23日 日本軍の捕虜50万人を捕虜収容所に移送?強制労働?シベリア抑留問題とつながったようですが、この問題にも触れていなかったように思います。*今更、この問題を論争しても、現実的な解決策に繋がらないのかもしれません。知識袋の有識者によれば、北方領土周辺には、対米安保対策上、ロシアの核ミサイル装備した原潜が運航しており、ロシアは、特に国後島?択捉島の2島は、絶対に返還する可能性ないとの見解を述べておりました。大戦直後に、日本は、連合国総司令部とは言え、米国軍の占領を受け、日米安保を締結し、その後、沖縄の返還を受けています。仮定の話ですが、日本が、ロシアの占領を受け、ロシアと安保条約を締結し、東側陣営に加わっていたなら、とうの昔に、ロシアと平和条約を締結し、北方領土問題も早期解決していたのかもしれません。逆に、沖縄の返還はなかったかもしれません。結局は、現状の世界の安保問題と深くリンクした問題としか思えません。日頃は、安倍政権、安倍首相を批判し続けている私ですが、日本政府が、日ロ間で経済協力をすることで友好関係をつくろうとすること、最悪、2島返還で妥協し、将来につなげることには、賛同しています。* 安倍首相は、12年12月、ダイヤモンド構想と言い、中国囲い込み政策を主張した人物であり、米国追従、反中政策をとってきた人物です。ロシア?プーチンと何十回も面談しましたが、中国習近平、或いは、要人との間で、何故、同じことができていないのでしょう。中国との経済関係は、ロシアより、遥かに大きいものです。貿易額もさることながら、中国進出事業も多々あり、そこで働く、日本国民のことももっと配慮すべきです。とは言いつつ、この詳細論議は、別の機会にします。日本が如何に、米国追従で、反中政策をとっているのか、関心のある方は、中国とFTAを締結している国、AIIBに参加している国昨年末現在93ヶ国をご覧になって下さい。

日ソ中立条約。日ソ中立条約にっソちゅうりつじょうやくは、1941年昭和16年に日本とソビエト連邦 以下ソ連の間で締結された中立条約である。「日ソ中立条約」は 。 当時の駐ソ連大使?東郷茂徳後の東條英機首相、東條内閣の外務大臣は、ナチス?ドイツおよびイタリア王国との日独伊三国軍事同盟の締結に反対し、むしろ思想問題以外の面で国益が近似する日ソ両国が連携 。 ロシア語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

回答ありがとうございます。メインの質問は、冒頭に書いたように、「ガルージン駐日大使の発言につき、どう思うか?」です。その後、私見として、私の補足的発言を書いたに過ぎません。これで、貴方を混乱させたのでしょうか?私見部分に、異論を述べて頂いても結構ですが。無視するもよし、箇条書きで、部分批判してもよしというものです。ところで、理由不明ですが、貴方の回答は、「非表示」扱いになっています。回答者自身は、「非表示」になっていること、わからないのかな?>ヤルタ会談やポツダム宣言、サンフランシスコ平和条約など理解すれは4島返還など最初からあり得ないしこれは重要なことです。この部分を、もう少し、丁寧に説明頂ければ、ありがたかったのですが??。その他、特に異論ありません。一般的な意見の範疇と思います。

ソ連対日参戦。ソ連対日参戦ソれんたいにちさんせんとは、満州国において1945年昭和20年8月9 日未明に開始された日本の関東軍と極東ソビエト連邦軍との間で行われた満州?北朝鮮における一連の作戦?戦闘と、日本の第五方面軍とソ連の極東ソビエト連邦軍との間で行われた南樺太?千島列島における一連の作戦?戦闘である。この戦闘の勃発により、 日本の降伏を決定づけることとなった。 日ソ中立条約を破棄したソ連軍による侵攻であるが、ソ連側はこれに先立つ関東軍特種演習の段階で、同条約が事実上破棄 。 極東での日ソの軍拡競争は1933年昭和8年からすでに始まっており、当時の日本軍は対ソ戦備の拡充のために、本国と現地。

日ソ中立条約にっソちゅうりつじょうやくとは。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 – 日ソ中立条約の用語解説 – 日本とソ連が 1941年4月 13日松岡洋右外相とスターリン 。 当時日本は南進政策のためにソ連との不可侵条約を考慮,最初応じなかったソ連は,ドイツの対ソ戦争企図を知り,日本の提案を受諾 この間フィンランドとの戦争で国境地帯を割譲させ,40年には,旧ロシア 帝国領であったバルト海沿岸の3国をソ連邦に併合するなど,強引な安全保障策を追求した。

元島民が北方領土の講話。道主催の北方領土学習は26日午後、増幌小中で行われ、参加した高学年以上の児童生徒12人は、北方領土の歴史について 。 に獲れ自然豊かな島」などとスライドを使い、 当時と現在の違いを紹介した中で旧ソ連軍が日ソ中立条約を破り侵攻し共同生活した思い出を振り返り「自然と資源のある豊かな島が太平洋戦争で全てを失った」などと話し、「1日でも早い返還が実現するのは勿論だが、日本人とロシア人が。

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